2008.06.04

かわいい…

夜の本屋の前につながれている犬。

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◆◆◆

5月の終わりに八王子は大学セミナーハウス(吉阪 隆正・設計)に行きました。
以前に別の人と行ったことがあるので今回は2回目ですが、あらためてデザインの密度にびっくりしました。こんなに表現的なデザインが日本でうまれたということが信じられないほど。

コルビュジエの後期の作品の、最も濃いエッセンスを受け継いでいるのでしょうか。
ロンシャンもラトゥーレットも実物でみたことがないので、比較はできませんが。

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きっと、設計たのしかっただろうね。

◆◆◆

みぃこちゃんのところで昨日、学校で模型をつくってる最中に(?)みたバトンをやってみる。

こういうばかばかしいタスクっていいね。

<地雷バトン>

見た人全員やること。
絶対だからね。
嘘つきは嫌い
題名に《見ないほうが身のため》と書いてね。

ごめん、無視。

■名前は?

北村知佳子

■歳は?

ぎりぎり25。

■寝るの好き?

好き。寝るのが好きな人と、たまの休みに一緒にごろごろして遅いブランチを食べながら「びっくりするほどよく寝たね〜」っていうのがいまの夢のひとつ。

■彼氏/彼女いる?

いませんよ。

■タイプは?

ステレオタイプだけれど、好きになった人がタイプ。

■元カレ/元カノの人数は?

片手で数えられますw(たいていの人はそうだろうと思うけど。)

関係ないけど、「単位とれてるの?」と聞かれて、「両手でかぞえられないよ!」と答えた後輩のきりかえしを思い出します。

■S/M?

相手によりけり。

■今何してる?

お風呂がわくの待ってます。

■野球派?サッカ-派?

どちらも詳しくないけれど、どっちかというとサッカー。

でも、くりいむしちゅー上田の野球ネタつっこみは好きです。
(電気を何回もつけたり消したりする人に)「プロ野球8月中旬のマジックか!」とか。なんのことかよくわからないんだけれど。

■煙草吸ってる?

すってません。

■吸ってる人は種類何?

すってないって。
でも吸うとしたら、インディアンの箱かラクダの箱がいい。かわいいから。

■お酒飲める?

弱いけど。

■夜働いたことある?

塾講師は夜の仕事ですね。

■バイトしたことある?

あります。(同上)

■何才に見られる?

どうだろ?学年相応に見られたら御の字。

■ぶっちゃけ何人に告られた?

日本人(ぱくり)

■髪何色?

若干茶色。

■ピアス何個あいてる?

あけてません。

■身長何センチ?

166cm

■携帯の機種はどこ?

Docomo

◆◆◆

さて、明日は2限@柏です。おきれるかな…。

2008.06.01

夢(アメリカン・ドリームでないほうの)

もう六月なんですね。

まだ梅雨がきていないのが信じられない。もうさんざん降ったでしょうに。

◆◆◆

今日は「『環境・時間・建築』をめぐって」という講演会を聴きました。

「ファイバーシティ」大野秀敏(東京大学)/「負ける建築」 隈研吾(東京大学)/ 「密教建築」 藤井恵介(東京大学)/ 「ランドスケープ」 桜木直美(アースワークス・武蔵野美術大学)

というだいぶ不思議なコラボレーションによる、3時間半にわたる大講演会でした。

◆◆◆

隈氏に関しては、以前、「負ける建築」についての講演は聴いたことがあって、それは面白く聞いたように記憶していたのですが、今回、『負ける建築』はもう飽きたのでべつのことをと言って話したその内容は、

「アイコン」というもの。

◆◆◆

すなわち、現在圧倒的な勝率を誇るザハ・ハディドを筆頭に、選ばれる建築家が持っている「アイコン」。あるいは消費対象としての作家性。他との差異。ブランド。

隈氏はそれを「インターネットのモデルを考えたときに、検索のキーワードとなるようなもの」と言ったような気がしますが、それぞれの作家のサインです。

彼はそれを強化することの重要性を説いた上で、自分の「アイコン」は「素材感/テクスチャー」だと言いました。

びっくりした。すなわち、日本を代表する建築家の一人が学生にむかって、消費される側としての建築家の立場を説いている。単一な「アイコン」で建築を覆うことは、確実にその建築の社会的寿命を短くすると思うのですが、「『テクスチャー』というアイコンはどれほどもつと思うか」という問いに対しては、先鋭的になることでこたえていくと答えていました。それは個々の建築のアイコンの寿命ではなく、残念ながら隈研吾という建築家の社会的寿命が長らえるということにしか聞こえませんでした。

その消費構造自体になにかしようという気持ちが感じられなかったのが、悲しい。アメリカン・ドリームでない方の夢がないじゃないですか。

◆◆◆

ついでに、ビアトリス・コロミーナの「マスメディアとしての近代建築」の参照だと思うけれど、建築のマスメディア性ということを言って、「水ガラス」でのフレームワークとしての建築(ちなみに前書においては、コルビュジエのフレームワークをあつかっている)の話をしていましたが、

卒論でコロミーナ以降のマスメディア性を考えていた自分としては、話がそこで止まってしまったことが残念で、もし質問がゆるされるのなら、その先をどうとらえているのか聞きたかった。

◆◆◆

藤井先生の講演は、オイッスの力作の曼荼羅アニメーションが美しかったです。

◆◆◆

一番楽しかったのは、桜木氏(女性です)のランドスケープの話で、

全体的に自然とデザインに対する敬意の感じられる、とっても爽やかな講演でした。

ランドスケープに関してはまるまる勉強不足なので、モダニズムのランドスケープから現在に至るまでの流れをわかりやすく説明してくれたのはありがたかったです。建築をする人がこういうことを勉強しなければいかにも片手落ちだと思わされたので、折をみてきちんと勉強したいものです。

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有名なアートらしいですが(アースワークというらしい)ロバート・スミッソンの、ユタ州の沼地につくった巨大な渦巻き状の堤(堤をつくっただけで塩によって沼の色が変わるというのは圧巻)とか、ウォルター・デ・マリアの(地中美術館に作品のあるあの人)、平原に雷を落す空間装置なんかが紹介されていて、非常に面白く見ました。

◆◆◆

現在、生活に「爽やかさ」というものが足りていない気がします。

自分の気持ちの問題です。あと、雨のためかな。

爽やかな気分に近い?かわからないけど、こんな曲をきいてみました。(from 真魚ちゃん)

今年のユーロビジョン優勝者(ロシア)の準決勝の時の映像

これって、もしかして、ヴォーカル、ヴァイオリン、アイススケーター(!)、のトリオなんですかねww 最後の締めにちょっと笑ってしまいました。さすがロシア。

2008.04.27

もやもやよもや

土曜はスタジオで、日帰り名古屋(郊外)。

ゴジカラ村という、高齢者と若者の多世代交流などをテーマに、福祉施設としてはかなり先進的(?)な取り組みをしているところです。

夜はそこのおいちゃんたちと一緒にイノシシ鍋。
沖縄のおじいもそうだけど、おいちゃんたちの話をきくのはおもしろいです。難しいこと言ってもしょうがない。東大生はだいたい役人になると思ってる。そして役人がきらい。そんなおいちゃんたち。

「そこらへんで落ち葉を200枚くらい拾ってポケットにいれて、ためしにいろんなところでまいてみな。」といわれたのが印象的でした。落ち葉が畳の上にちょろっと落ちて入り込んでも、「ああ、風流だね」で済んでしまうけど、電車のなかに落ちてたら確実にゴミ。すぐ捨てられる。「落ち葉が、ゴミになってすぐ捨てられるとこっていうのは、ほんとはおかしいのよ。」とおいちゃんは言います。「落ち葉」っていうのは、世の中の役に立たないお年寄りたちのこと。

あと、中村勉先生が言っていた、「お年寄りには、子供や若者はチャボなんだよ」っていう言葉。縁側で見てる、あのチャボ。

◆◆◆

ひさしぶりに髪をきりました。
美容院のお兄さんは、最近赤ちゃんが生まれたばかりのニコニコした人で、すご〜く癒し系。

私は自分の本とファッション雑誌と半々くらいに読んで、ドライヤーの熱でうとうとするのが常ですが、なにをしていても気にならずにいてくれるのがいいなと思います。

「難しそうな本読んでいますね。」
「ええ、何かいてあるかゼンゼンわかんないんです。」
みたいな。

「今日はこのあと、どこかに行くんですか?」って聞かれて
家に戻りますって言ってるのに、最終的には必ずワックスをつけてセットをしてくれる。

家にワックスつけて帰ってもな、と思うのだけど。

恋人がいるときならば、用もなく呼び出してみせびらかしても楽しいだろうけどね。

誰かが言っていた「友達と恋人の違いは、自分の変化に気づいてほしいかどうか」だって。

それとはやや違うけど、「髪きった」とか「服の組み合わせがうまくいった」とか「クレープ食べたい」とか、ほんと〜にミニマルな思いつきの用事で遊べる人が「恋人」だと思っていて(「ちがうでしょ!」っていわれそうだけど)

最近はしょーもないこと思いついちゃったときは、どうしましょって感じになっています。それがちょっと寂しい。

◆◆◆

後輩が東京カテドラルにいくというから、丹下健三さんへの磯崎さんの弔辞があるといったら、今はもう展示していないとのこと。

弔辞を読むこと自体がそもそも少ないけど、これはいままで聞いたどの弔辞よりもすばらしいし、ずっと展示しておいてほしかった。

いろいろな人がいる(建築関係以外も)中で読まれた弔辞だから簡単な言葉で、とか、死者を悪くはいえないとか、さまざまな配慮があるだろうけど、

それでもなお、胸をうたずにはいない本音らしさがあって。そして、磯崎さんがこれを書いたということに、私はびっくりしてしまいます。

丹下健三先生 弔辞

2008.04.04

院生生活は旅行とともに始まった

この間卒業したと思ったら

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(これは卒業式の謝恩会@青山。みんなかわいかったな〜。)

もう新学期&入学式です。感慨にひたる間もない。

◆◆◆

3月の終わりに、研究室旅行でした。いわゆる「追いコン」というやつが、私の所属するO研では旅行なのです。
O教授の足跡をたどる旅@飛騨・高山(先生の出身地が岐阜。)

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高山市の吉島家住宅。明治期の商家(町家)で、重要文化財です。
チャールズ・ムーアが「自分が見たうちでは最高の日本建築である」と激賞したといわれます。

面白いことに、実はこの町家、隣に規模もつくりもそっくりな町家が建っているのです。
でも、そっくりなのに、ぜんぜんよくない。
それは、誰もがはっきりわかるくらいの優劣なのですが、「なんでだろう…」と思うとはっきりこれとは断言できない。おそらく柱のプロポーションや細部のつくりこみの問題でしょうが、不思議なものです。ちょっと考えさせられます。

◆◆◆

雨は降ってるし、山のなかだし、寒いことこの上なかったです。
東京じゃ桜が満開だというのに、いきなり2ヶ月前にトリップした気分でした。

◆◆◆

最悪なことに、私はいままで自分の先生なのにO教授の設計したものというのを、あまりちゃんと見たことがなかったのです。が、今回は、それが見られてよかった。

いつまでも冒険心があるなあ、というのにまずびっくりしました。デティールがきれい。

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コンクリートの模様と、ガラスの模様がおんなじ。

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◆◆◆

おまけ。

研究室旅行の夜は当然宴会なんですが、どんなノリなのかとおもっていたら、(半分予想通り)U助手のむちゃぶりカラオケ大会でした。

これは、「一緒にドリカムを歌おう」と誘っておきながら、自分は「ベースだから」といっさい歌わず、プリティーな技官Y崎さんに歌わせるU助手の図。エアベースが…。

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送り出されるはずのM2はひたすら5人でSMAP(U助手指名。たぶん5人だからというだけ。)を歌わされ。がんばってました。

最後は「あおげば尊し」の大合唱で終了。M2の先輩がいなくなってしまうのは、さみしいなあ、とすごく思いました。それぞれキャラのたった人たちで、もっといろんな話をききたかったし、この旅行みたいに遊んだりしたかったな。

2年はきっとものすごく早く過ぎそうです。ぼーっとしてても過ぎるし、忙しくしてても過ぎる院生生活。具体的な計画はまだあんまりないけれど、充実させていきたいです。

2008.03.21

ガーディナーさん

新宿のお茶漬けBAR ZUZUに行きました。

お茶漬けまでBARになってるとは知りませんでした。面白いですね。

ちょっと見ただけじゃわからないにじり口みたいな入り口とか、ちょっと隠れたスキップフロアとか、「萌え(そうな)パーツ」がすでに用意されているので、オサレ空間は加算によってできてしまうようでした。

◆◆◆

日光東照宮のすぐ足下に、こんな教会があります。

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プロポーションにはキッチュな雰囲気もあるけど、しっかり石を積んでつくってる迫力がある。
新しくはなさそうだけどものすごく古くもなさそう。
なんだか不思議なもんだな〜、と思って近づいてみました。

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入り口にこんな立看板。

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1914年にできたのですね。
重々しい石造りなのに、どことなくあどけないキッチュな香りがするのは、アメリカ由来のものだったのか、と思いました。

もはや安山岩ってなんだっけという感じですが…「新幹線は刈り上げ」だから火山岩。光沢のない緻密な石。

鹿沼石(別名、深岩石)は大谷の隣の鹿沼産の石で、大谷石と同じく凝灰岩。テクスチャーは大谷石に似ているけれど、強度は大谷石よりは高いらしいです。

◆◆◆

ジェームズ.Mc.ガーディナーさんは立教の教師として来日して、日本で建築事務所を開きました。

同級生の卒論にちらと出てきた気もするけれど、私は浅学ゆえに存じ上げず。多くの建物を設計しているのに驚きました。(現在残っているのは国の重文3棟を含め、40棟ほど。こちらにリストがのっています。)

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「日本におけるアメリカ建築の状況に触れると、開国当初に下見板コロニアルや木骨石造コロニアルが栄えるが、本格的な歴史主義の時代に入るとヨーロッパの陰に隠れてしまう。そうした日陰時代にからくもアメリカが生息したのは、アメリカ系ミッションーキリスト教伝道ーの囲い込まれた敷地の中で、学校と教会がつくられている。設計者はいずれも宣教師だが、ガーディナーだけは、独学でちゃんと建築を学び、設計事務所も開いている。」(藤森照信、「日本の近代建築」)

この教会には、日光が好きだったガーディナーさんのお墓があります。

◆◆◆

詩は人の考えるように感情ではない。
詩がもし感情だったら、年少にしてすでにあり余るほど持っていなければならぬ。
詩はほんとうは経験なのだ。
1行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。
あまたの禽獣を知らねばならぬ。
空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞らいを究めねばならぬ。
まだ知らぬ国々の道。思いがけぬ邂逅。遠くから近づいて来るのが見える別離。
—まだその意味がつかめずに残されている少年の日の思い出。
喜びをわざわざもたらしてくれたのに、それがよくわからぬため、むごく心を悲しませてしまった両親のこと(ほかの子供だったら、きっと夢中にそれを喜んだに違いないのだ)。
さまざまな深い重大な変化をもって不思議な発作を見せる少年時代の病気。
静かなしんとした部屋ですごした一日。
海べりの朝。海そのものの姿。
空にきらめく星くずとともにはかなく消え去った旅寝の夜々。
それらに詩人は思いめぐらすことができなければならぬ。
いや、ただすべてを思い出すだけなら、実はまだなんでもないのだ。
一夜一夜が、少しも前の夜に似ぬ、夜ごとの閨の営み。
産婦の叫び。
白衣の中にぐったりと眠りにおちて、ひたすら肉体の回復を待つ産後の女。
詩人はそれを思い出に持たねばならぬ。
死んでいく人々の枕もとについていなければならぬし、明け放した窓が風にかたことと鳴る部屋で死人のお通夜もしなければならぬ。
しかも、こうした追憶を持つだけなら、一向なんの足しにもならぬのだ。
追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。
そして、再び思い出が帰るのを待つ忍耐がいるのだ。
思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。
追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名前のわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかりうまれてくるのだ。

リルケ「マルテの手記」より

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