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2009.07.01

右向け右

土曜:バートレットの卒業設計展覧会を見に行きました。
   衝撃でした。いずれ何かを書こうと思います。(こんなのばっかですが。)

月曜:暑すぎた。
   ジャズ演奏が有名というなぞのタイ料理屋に行きました。

◆◆◆

こっちにきたはじめのころ横断歩道に、
Look Right
と書いてあったので、

Looklight

いわれるまま右をみたらそこに押しボタン。
「なんか怪談みたいだなあ。『押しボタン式』って書けばいいのに。」
と思ったら、

実は、車が右から来るから(左車線なので)
「右に注意しろ」ってことでした。

◆◆◆

これは「下に行け」。

Photo

2

元ネタはヴァチカン所蔵のローマ彫刻、ラオコーン。

800pxlaokoongruppe03

こういうお茶目、大好きです。Waterstonesの本屋さんにて。

Waterstorns

(そこにあった説明書きによれば、1907年Charles Fitzroy Dollという人の設計らしい。20世紀の建物とはびっくりです。)

◆◆◆

日曜日はテムズ川沿いを散歩してテート・モダンを通ってトラファルガーあたりまで行きました。

「風景に水があるだけで、その建物の印象は3割増」という法則(?)みたいなものを聞いたことがありますが、
場合によっては3割どころではないなと思うくらい、水辺の光景は無条件に美しいです。

Img_0654

(もちろん、中には違う感じ方をする人もいるだろうし、おおざっぱな話なのですが。)

デザインで1割どころか1厘増やすのに腐心する設計者にしてみれば、
水があるだけで3割増なんて話はむなしさを覚えるところかもしれませんが、

それでも、そんな人間の悲しい(?)性にコミットしながらつくるから
考えがいがあるとも思います。

いくらむなしいと思っても、
私自身、水のある光景を美しいと思ってしまう。

◆◆◆

(注)いつもそうだけど、今日の日記は独り言レベル高いです。

土日のどちらかは、一人でぶらぶらしようと思っているのですが、
そうすると美術館とかギャラリーが目的地になることが多いです。(タダですしね。)

Photo_2
(テート・モダンのタービンホール)

建築と関係のないアートを見ていると(つまり門外漢として見てると)
嫌というほど自分の好きな創作物の傾向を思い知らされます。

一番強い性向は、
個人のセンスとか、独創的な思いつきというものをほとんど信じてない
ということかなと思います。

それがいかにマイナーだと感じられる思いでも、
人間の性だから、その時代に生きているから、あるコミュニティにいるから、
そう思ったり感じるのだ、と考えるし

自分の感じることは、2万人が(適当だけど)感じてると思った方がいいと思うのです。

だから、「集団の中の」「よくいる」「他人に影響されまくった」自分を見ることなしに、つくられたりいわれたモノには見ていて、若干の反発を覚えます。

◆◆◆

まあ、それは見る側の態度でも同じで、

自分が何がしかのアートを単純に「好き」とか「嫌い」とか「かっこいい」とか「ださい」とか「感動した」とか「涙が止まらない」とか言って、多くの人が投じる清き一票をそこにまた投じたからって
だからなんだ、ソー・ホワット??本当に、so wh@と思います。
(おしゃべりのときには別ですが)

それよりは、なぜ自分にとって(すなわち多くの人にとって)それが「かっこいい」のかを考える方が、少なくともまだ少し考えることがあるのかなと。

3
(関係のない写真:かなり多くの人が「かっこいい」と思うだろう、床をすりぬけるエスカレーター)

◆◆◆

同じことなのですが、アートを前に余計な知識はノイズだというのも、
あまり賛同できない考えの一つです。
(さすがに専門にやっている人だったらそうもいっていられないと思いますが。)

集団についてものを言ったり考えるというのは、大雑把になるので、ちょっとドキドキするのですが、
だからといって、集団を見ないことは思考停止に近い気がする。

とあるアーチストを個として1とするならば0.99は集団(彼と全く同じような作品をつくる何十、何百の同胞たちでも、ただ人としてでもいいんですが)としてとらえ、残りのほんのわずか、0.01の物語に感動する、というようなものかと思います。

その方が、はじめから1を見るよりも感動は大きい(気がする)。

矛盾してるようですが、
0.01としてかおる物語は、大好きなのです。

はじめから丸々1を個として見るなんて、
無人島で1人しかいない異性に恋におちるようなものじゃないか。

2_2
(関係のない写真:「未来派(Futurist)」展をやっていました。なのでタイトル「速度の美学」(笑))

◆◆◆

というわけで、前置きが長いんですが、

最近、見て、気に入ったものたち(とその美術館)です。
結局、自分の好みをいってるだけかと。矛盾ですね。

上のようなことにより、自分の置かれた状況やものの捉え方の枠組みに意識的な作品に弱い。

既成の物語や作品の引用もその意味で好きです。
(昔の絵はだいたい好きってことですね。)

「分かりやすい」というのもポイントが高いです。
意識的だから分かりやすくできるのだと思うので。

◆◆◆

1. "Thirty Pieces of Silver" Cornelia Parker(1956-) (@テートモダン、常設)

T07461_8

撮影できないので、絵はがきに使われている写真ですが。
天井から伸びたピアノ線の輝きが素直に綺麗。

ジャンクショップから、誰かの物だった銀製品(スプーン、ティーポット、トロンボーンなど)を手に入れて、それを道に置いてローラー車で轢いてぺたんこにしたものをピアノ線で吊っているそうです。

解説より(拙訳) パーカーは物の形態や意味が変質する過程に興味を持っている。ここに見る銀製品は、それが運動会のトロフィーであっても、結婚式の贈り物のカトラリーであっても、その材質の価値以上に個人的な思い入れによって価値付けられたものだが、みな最期にはジャンクショップに流れたものである。このタイトルはユダがキリストを裏切った代償の銀貨30枚を暗示するように思われるが、その裏切りとは、パーカーの行為(作家自身の言葉では「カトゥーン・バイオレンス」)なのか、持ち主がそれを手放したことを指すのかは示されていない。

材質の価値とか、思い入れとか、判断を下すには(例えばいい材料でつくられたものはいいのかとか)大きすぎるノイズだよなあと思います。(実際はもはやノイズでもないのかもしれませんが。)

◆◆◆

パーカーさんの別の作品がV&Aのふきぬけに飾られていました。
余談ながら、少ない経験ですが、ロンドンの公共建築は地元アーチストを大切にする印象があります。
ヘンリー・ムーアの彫刻とか、そこら中においてあります。

Jpg

◆◆◆

2. "The American Room" David Clearbout(1969-) (@ハウザー&ワース、個展)

映像作品なんですが、その展示風景だけはこのサイトでみられます。
このサイトはそれ自体がすごい。まさに、アイ・レボリューション。

"The American Room"はおそらくこの個展のためにつくられた作品で
(映像作品の舞台が展示空間と同じ部屋でしたから)

一見すると、室内コンサートの風景(演奏家と群衆)をゆっくりとしたカメラワークで撮っているだけのように見えますが

実際は、一人一人、ブルースクリーンの前で別々に撮った「写真」をつなげて「群衆」の「動画」にしているという、聞くもすざまじい努力の作品です。

「静止画を見る」ということと「動画を見る」ということ、
「映像を見る」ということと「その場にいる」ということ、
が混ざった不思議な体験ができます。

知覚に関して疑問をもったり、考えたりはできますが、
ここまでわかりやすく「体験」として提示してきたことにびっくりします。

◆◆◆

ちなみに、展示室の風景でも、古い建物だとわかりますが、
この美術館はエドウィン・ラッチェンス設計の建物の改修です。

Photo_4

エドウィン・ラッチェンスと聞いて、「どっかで聞いたことあるな〜」と思ったら、それもそのはず。
大英帝国時代、インドのニューデリーの都市計画と総督邸をつくった建築家でした。

「そりゃ本国にも作品あるよね」と納得。

ただの印象ですが、不思議な土着感をもった建築をつくる人だなという感じがあります。
英国版伊東忠太みたい。

◆◆◆

3. "Dance to the Music of Time" Nicholas Poussin(1594-1664)(@ウォレスコレクション、常設)

Dance

神話画とか寓意画とかのたぐいは好きなんですが、
この絵がなにが興味をひいたかというと、

描いてあることがわからない…。

右のじいが時の翁であることはわかる。
遠くで太陽神アポロが馬車を繰っているので、
きっとなにか時の移ろいを暗示しているのだろうとはわかる。

でも、それ以上、よくわからない。

結局はなんでもよくご存知のインターネット様によって(他の手段がとんとないのです)
知ったのですが→このサイト

四人はそれぞれ、貧困(後ろ向きの男)、労働(赤い服の女)、富(白い服の女)、快楽(青い服の女)を表しているそうです。

すなわち、貧すれば働き、働けば生活は豊かになって、快楽にふけるが、ふけりすぎると貧する、と。

そんなサイクルの人生は嫌ですが(笑)

この寓意を表すのに、プッサンはローマの図像学者リパの「イコノロギア」という大著を参照にして、若干のアレンジを加えて絵にしている(そうです。)

面白いのは、イコノロジーは抽象概念を絵であらわす際の約束ごとと思えば、
言葉と同じな訳ですが、

プッサンは、その「言葉」自体をつくることにチャレンジしているように見えること。

自分がつくった「言葉」では、他人に(普通)伝わらないわけですが、
絵の場合は人のなにか一般的感覚に照らして、伝わることも考えられます。

少なくとも、この絵の「労働」の苦しそうな感じとか「快楽」のカメラ目線とか、
説明されなくても感覚でわかる部分はある。
(といっても、私は「よくわからん」と思ったんですが)

伝えたいことを伝えきれないもどかしさ。
でも、なんとなくちょっとは伝わっている。
(しかも東洋と西洋、時空をこえて。)

◆◆◆

美術館はウォレス・コレクション。個人コレクションの美術館です。

Photo_2

中庭のアトリウムがレストランになっています。
「女子をしている!!」と思うには、いい場所です。
実際、女子率が超高い。

Photo_3

ベタに午後ティーを頼んで、ベタに美味しいと思いました。

◆◆◆

長い割にはオチが全くない日記になってしまいました。
明日おきれるかな…。
毎日が日曜ならいいのにと思います。

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