気負いを感じるプロポーズ(続き)
前回のつづきなのですが、
「バロック」展で買った本(Baroque & Rococo) は、
このころのイギリスの建築を、おおざっぱに
古典主義的傾向とバロック的傾向から見てわかりやすく(わかりやすすぎるくらいに)書いてあったので、いろいろ勉強になりました。
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17-18世紀のイギリス建築は、イタリアから古典主義を持ちかえったイニゴ・ジョーンズ(先日の日記に書いたコヴェント・ガーデンの人)によって、古典主義のレールに乗って走り出したとは一般に言われるものの、
作者は「バロック」について書いているので、
イニゴ・ジョーンズは仮面劇の劇場設計者としてスタートしたんだよ、とか
ウィルトン・ハウスの装飾をみてごらんなさいよ、とか
やたらバロック的コネタをはさんでくるのが面白い。
(本当はコネタではないんだろうけど)
これは、イニゴ・ジョーンズの代表作、バンケッティング・ハウス。
(この建物のせいで、banquetというのは「大晩餐会」のことだと思っていたのですが、普通に「宴会」くらいでも使うらしいです。)
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イニゴ・ジョーンズの次の世代として、ジョン・ウェブ(1611-1685)、ロジャー・プラット(1620-1685)、バルサザール・ガービアー(1591?-1667)に言及したあと、
フュー・メイ(1622-1684)にくる所のくだりが興味深いです。
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ところで、
ロンドンはイメージどおりに赤煉瓦の建物が多いですが
エラそうな建物はやっぱり白い石造りの古典様式でできていることが多いようです。
(これは「クラブ」ではなく「倶楽部」の建物。
パル・マルという通りにいっぱいあります。)
17世紀も、建築家は古典様式を覚えたとはいえ、普通の建物のほとんどは昔ながらの赤煉瓦。
ところが。
17世紀の後半になると、それなりにちゃんとした古典様式が「赤煉瓦の中で」流行りだし、
その仕掛け人(?)がヒュー・メイだった、と作者はいいます。
In the second half of the century, building in brick took an opposite turn, imitating the extremely sober Classicism which had been started thirty years earlier in Holland by Jacob van Campen and Pieter Post. The originator of this change was Hugh May(1622-1684), who had taken refuge in the United Provinces during the Civil War, in company with Backingham.
ヒュー・メイの、この建物、いまもゴルフクラブとしてあるらしいです。(一般公開されてなくて残念。)
煉瓦に石でどうにかこうにか「古典様式」をくっつけました、というこの折衷スタイル、オランダ由来だったのか。
なんだか日本の明治・大正みたいなことがおこっています。
このスタイルは18世紀を通して市井の建築で流行したらしい。
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そして1666年ロンドン大火。
クリストファー・レンの登場によって、ロンドンにやっとバロックらしいものがやってきたので、作者は小躍りする(?)わけですが
He (Wren) came back (from France) with an inclination towards an ornate style, which altered the course set for English architecture by Inigo Jones and may truly be called - having regard London's northerly latitude and to English Puritanism - Baroque.

(いわずと知れた、クリストファー・レンのセント・ポール大聖堂)
さらにレンの弟子筋の2人、ジョン・ヴァンブラ(1664-1726)とニコラス・ホークスムア(1661-1736)がバロックのブレニム宮殿を建てるに至って、こう結論づけます。
Yet, in spite of everything, one feels that this architectural language is opposed to the English temperament; there is a lack of that imaginative impetus which creates the poetic quality of Baroque in the country where this style is spontaneous. This lack rendered legitimate the Pallarian reaction which, after three-quarters of a century of essays in the Baroque, brought English architecture back to its native tendencies.
なぜかは結局わからないけれど、バロックは根付くことなく、イギリス建築はイニゴ・ジョーンズの方向へ帰っていきました。
この、「なぜかはわからないけど違う」という感覚が、わかる気がするけれど、はっきりと頭に描けなくてもどかしい気がします。
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それにしても、これを読んでから、
「グリニッジ、すごすぎる」と思ったのですが、
それについてはまた。





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