もやもやよもや
土曜はスタジオで、日帰り名古屋(郊外)。
ゴジカラ村という、高齢者と若者の多世代交流などをテーマに、福祉施設としてはかなり先進的(?)な取り組みをしているところです。
夜はそこのおいちゃんたちと一緒にイノシシ鍋。
沖縄のおじいもそうだけど、おいちゃんたちの話をきくのはおもしろいです。難しいこと言ってもしょうがない。東大生はだいたい役人になると思ってる。そして役人がきらい。そんなおいちゃんたち。
「そこらへんで落ち葉を200枚くらい拾ってポケットにいれて、ためしにいろんなところでまいてみな。」といわれたのが印象的でした。落ち葉が畳の上にちょろっと落ちて入り込んでも、「ああ、風流だね」で済んでしまうけど、電車のなかに落ちてたら確実にゴミ。すぐ捨てられる。「落ち葉が、ゴミになってすぐ捨てられるとこっていうのは、ほんとはおかしいのよ。」とおいちゃんは言います。「落ち葉」っていうのは、世の中の役に立たないお年寄りたちのこと。
あと、中村勉先生が言っていた、「お年寄りには、子供や若者はチャボなんだよ」っていう言葉。縁側で見てる、あのチャボ。
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ひさしぶりに髪をきりました。
美容院のお兄さんは、最近赤ちゃんが生まれたばかりのニコニコした人で、すご〜く癒し系。
私は自分の本とファッション雑誌と半々くらいに読んで、ドライヤーの熱でうとうとするのが常ですが、なにをしていても気にならずにいてくれるのがいいなと思います。
「難しそうな本読んでいますね。」
「ええ、何かいてあるかゼンゼンわかんないんです。」
みたいな。
「今日はこのあと、どこかに行くんですか?」って聞かれて
家に戻りますって言ってるのに、最終的には必ずワックスをつけてセットをしてくれる。
家にワックスつけて帰ってもな、と思うのだけど。
恋人がいるときならば、用もなく呼び出してみせびらかしても楽しいだろうけどね。
誰かが言っていた「友達と恋人の違いは、自分の変化に気づいてほしいかどうか」だって。
それとはやや違うけど、「髪きった」とか「服の組み合わせがうまくいった」とか「クレープ食べたい」とか、ほんと〜にミニマルな思いつきの用事で遊べる人が「恋人」だと思っていて(「ちがうでしょ!」っていわれそうだけど)
最近はしょーもないこと思いついちゃったときは、どうしましょって感じになっています。それがちょっと寂しい。
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後輩が東京カテドラルにいくというから、丹下健三さんへの磯崎さんの弔辞があるといったら、今はもう展示していないとのこと。
弔辞を読むこと自体がそもそも少ないけど、これはいままで聞いたどの弔辞よりもすばらしいし、ずっと展示しておいてほしかった。
いろいろな人がいる(建築関係以外も)中で読まれた弔辞だから簡単な言葉で、とか、死者を悪くはいえないとか、さまざまな配慮があるだろうけど、
それでもなお、胸をうたずにはいない本音らしさがあって。そして、磯崎さんがこれを書いたということに、私はびっくりしてしまいます。
こういうのを読むと、建築家ははすに構えたがる、とか平気で言う教師があほくさく思えてしまうのは俺だけでしょうか。
もし「友達と恋人の違いは、自分の変化に気づいてほしいかどうか」が本当なら、世界の大方の女の子は俺の恋人です。通りの向こうから歩いてくる子も、もちろんキタムーも。
投稿 masuzaki | 2008.04.28 09:26
素晴らしいですね。
都市計画の難しさに研究室で直面して、若干諦め気味でいましたが(アドルフロースな気分、もしくは野武士?)もう一度考える機会をもらったような気がします。
投稿 chigusa | 2008.04.28 23:03
ますぴ
はすに構えていると思いながらみると、はすに構えた感慨しか生まれないものね。
>もし「友達と恋人の違いは、自分の変化に気づいてほしいかどうか」が本当なら、世界の大方の女の子は俺の恋人です。
(笑)ますぴらしいね。
よく考えたら、この恋人の定義は、自分の気持ち次第できまるところがいいね。
chigusaさん
>都市計画の難しさに研究室で直面して
うう、きっと同じ悩みをかかえることになりそうです。
>もう一度考える機会をもらったような気がします。
それは、ほんとうに、よかったです。一生懸命にものごとを考えるchigusaさんだからこそ、響くところがあったんでしょうね。自らを顧みて反省させられます。
投稿 ちか | 2008.04.29 01:25