ガーディナーさん
新宿のお茶漬けBAR ZUZUに行きました。
お茶漬けまでBARになってるとは知りませんでした。面白いですね。
ちょっと見ただけじゃわからないにじり口みたいな入り口とか、ちょっと隠れたスキップフロアとか、「萌え(そうな)パーツ」がすでに用意されているので、オサレ空間は加算によってできてしまうようでした。
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日光東照宮のすぐ足下に、こんな教会があります。
プロポーションにはキッチュな雰囲気もあるけど、しっかり石を積んでつくってる迫力がある。
新しくはなさそうだけどものすごく古くもなさそう。
なんだか不思議なもんだな〜、と思って近づいてみました。
入り口にこんな立看板。
1914年にできたのですね。
重々しい石造りなのに、どことなくあどけないキッチュな香りがするのは、アメリカ由来のものだったのか、と思いました。
もはや安山岩ってなんだっけという感じですが…「新幹線は刈り上げ」だから火山岩。光沢のない緻密な石。
鹿沼石(別名、深岩石)は大谷の隣の鹿沼産の石で、大谷石と同じく凝灰岩。テクスチャーは大谷石に似ているけれど、強度は大谷石よりは高いらしいです。
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ジェームズ.Mc.ガーディナーさんは立教の教師として来日して、日本で建築事務所を開きました。
同級生の卒論にちらと出てきた気もするけれど、私は浅学ゆえに存じ上げず。多くの建物を設計しているのに驚きました。(現在残っているのは国の重文3棟を含め、40棟ほど。こちらにリストがのっています。)
「日本におけるアメリカ建築の状況に触れると、開国当初に下見板コロニアルや木骨石造コロニアルが栄えるが、本格的な歴史主義の時代に入るとヨーロッパの陰に隠れてしまう。そうした日陰時代にからくもアメリカが生息したのは、アメリカ系ミッションーキリスト教伝道ーの囲い込まれた敷地の中で、学校と教会がつくられている。設計者はいずれも宣教師だが、ガーディナーだけは、独学でちゃんと建築を学び、設計事務所も開いている。」(藤森照信、「日本の近代建築」)
この教会には、日光が好きだったガーディナーさんのお墓があります。
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詩は人の考えるように感情ではない。
詩がもし感情だったら、年少にしてすでにあり余るほど持っていなければならぬ。
詩はほんとうは経験なのだ。
1行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。
あまたの禽獣を知らねばならぬ。
空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞らいを究めねばならぬ。
まだ知らぬ国々の道。思いがけぬ邂逅。遠くから近づいて来るのが見える別離。
—まだその意味がつかめずに残されている少年の日の思い出。
喜びをわざわざもたらしてくれたのに、それがよくわからぬため、むごく心を悲しませてしまった両親のこと(ほかの子供だったら、きっと夢中にそれを喜んだに違いないのだ)。
さまざまな深い重大な変化をもって不思議な発作を見せる少年時代の病気。
静かなしんとした部屋ですごした一日。
海べりの朝。海そのものの姿。
空にきらめく星くずとともにはかなく消え去った旅寝の夜々。
それらに詩人は思いめぐらすことができなければならぬ。
いや、ただすべてを思い出すだけなら、実はまだなんでもないのだ。
一夜一夜が、少しも前の夜に似ぬ、夜ごとの閨の営み。
産婦の叫び。
白衣の中にぐったりと眠りにおちて、ひたすら肉体の回復を待つ産後の女。
詩人はそれを思い出に持たねばならぬ。
死んでいく人々の枕もとについていなければならぬし、明け放した窓が風にかたことと鳴る部屋で死人のお通夜もしなければならぬ。
しかも、こうした追憶を持つだけなら、一向なんの足しにもならぬのだ。
追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。
そして、再び思い出が帰るのを待つ忍耐がいるのだ。
思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。
追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名前のわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかりうまれてくるのだ。
リルケ「マルテの手記」より




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