紅白歌合戦の桑田圭祐復活は見そびれましたが、
そのかわりに初詣した「乃木神社」は面白かったです。
明治天皇の崩御とともに夫婦で殉死した
(夏目漱石の『こころ』に「殉死だ殉死だ」と人々が騒ぐところがあった気がします。)
乃木将軍の神社。
提灯に刻まれた家紋やら、いっぱい吊るされたカラフルな瓢箪やらが、意図せずスタイリッシュな神社でした。
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新年早々、こんなニュースに笑ってしまった北村です。
今年もよろしくお願いいたします。
最近は、お正月がただのお休みと化しているようにも思うのですが、
それでも、初詣の息白む寒さと、
きちんと整えられたおせちとお雑煮があれば、
ああ、お正月だなという感慨がわく。
食は偉大なり。母は偉大なり。
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俳句歳時記は「春」「夏」「秋」「冬」ともう一つ「新年」という区分になっています。
最近俳句が趣味になったオヤジが食卓でうなる新年。
横にいて退屈まぎれにこの「新年」の歳時記を読んでみたのですが、なかなか面白いのです、これが。
「正月」「元日」「三が日」はともかく
「今年」「去年」「二日」「三日」「四日」「五日」「六日」「七日」、
これら全部新年の季語。
【二日】(狗日)
「昔からこの日になにかを始めるのが吉であるとされていて、初荷・初湯・掃初・書初などが行われた。」
元旦は嬉し二日は面白し 丈左
というわけで、内容は見切り発車のブログ書初め。
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歳時記を読んでおもしろかったところをいくつか。
【去年今年(こぞことし)】
「元日の午前零時を堺に去年から今年に移り変わること。一瞬のうちに年が変わることの感慨が籠る。」
去年今年貫く棒の如きもの
とは有名な高浜虚子の句。
別に新年だからなにが変わった訳でも、と思うときの、ちょっと残念な気分のときに思い出す句。
【初空】(初御空)
「元旦の空。次第に明け行く空にはいかにも清新な気が満ちる。」
初空になんにもなくて美しき 今井杏太郎

網入りガラス越しの初空。(iPhone撮影)
友人の家で、4人横に並んでスパゲテッィミートソースを食べながら。
【御降(おさがり)】
「元日に降る雨。雪をいう場合もある。また、三が日の間に降るものもいう。御降があると富正月といって豊穣の前兆とされた。」
御降りの雪にならぬも面白き 正岡子規
お降りや竹深ぶかと町のそら 芥川龍之助
今年は全国各地ですごい「お降り」だったようですね。
初日記というのも新春の季語だそうです。
【初日記】
晴天と書きしばかりや初日記 中村苑子
白く厚く未知かぎりなし初日記 能村登四郎
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ウサギについて考えてみる。
今年は、ウサギが干支だから、街にはかわいらしいウサギがあふれているような気がします。
からみづらい虎や竜ではこうはいくまいという感じです。
ふと、年賀状を、これから12年、干支おしの同じフォーマットでつくろうと思い立ち、
コンセプトメイキングのため、ウサギについて考えてみました。
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とりあえず『十二支物語』(大修館書店)をひもといてみる。
漢字の研究者で『大漢和辞典』(大修館書店)の編者である諸橋轍次(1883-1982)氏が、十二支について思う所をつらつら述べたエッセイのようなもの。
十○年前、高校の図書室で、タダでもっていっていい処分本の中にみつけてもらってきたものです。
別に壊れていないのに処分されていたことを考えると、よほど人気のなかった本なのかもしれません。
ウサギの頁を開くと、しょっぱなから
「烏兔匆々(うとそうそう)、月日のたつのは早いもので—」
とくる。
烏兔とは月日のことで、
・太陽には三本足のカラスが棲む
・月にはウサギが棲み、薬をつく
という中国の伝説からこの言葉がうまれました。
「六朝時代の張衡の文の中に「日は太陽の精、積みて烏の象を成す」とあります。月については、『魏典略』に「兔は明月の精なり」とあり、晋の傅玄の文中に「月中何か有る、白兔薬を搗く」と出てきます」(『十二支物語』)
広辞苑では「烏兔」の出典に上の張衡(天文学者でもあった)の「霊憲」をあげています。
「月は陰精の宗、積みて獣となり、兎蛤に象る」そうな。
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さて、なぜ烏に兎なのかというので一番明快な答えは、
カラスは太陽の黒点から、
ウサギはいわずとしれた月の影の模様から、
という説ではないかと思います。
太陽の精である三本足の烏は、日本の神話にも登場し、神武天皇の東征を案内したとされます。
この烏、「八咫烏(ヤタガラス)」で一番良く見る図柄はたぶんこれ。

日本サッカー協会のシンボルマーク。
縁起がいいのもさることながら、
足一本多いから、サッカーうまそうってことでしょうか?
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カラスはギリシャ神話でも太陽神アポロンの持ち物とされていて、
嘘を教えたせいでアポロンに白から黒へ色をかえられてしまったとか。
一方、兎は繁殖力が強いことから、多産・官能の寓意とされ、ルネサンス絵画では愛の女神ヴィーナスと縁の深い動物です。

ピエロ・ディ・コジモ『ヴィーナス、マルスとクピド』(1490)
兎で一番官能と結びついた図柄はたぶんこれ。

PLAY BOY誌のロゴ。
ちなみに、官能・多産の兎を、野島伸司が翻訳すると、こういうことになります。
「兎は、寂しいと、死んじゃうんだよ。」
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一方、組み合わせによっては、兎のあらわすところは逆に「肉欲の克服」「純潔」ともなります。
たとえばルーブルにあるティツィアーノの『聖カタリナ(兎の聖母)』(1530)などはそのように読まれることが多いとか。

綺麗な絵です。兎も可愛らしい。
西洋でも東洋でも基本的には兎の色は白が一番、瑞兆であったり聖獣であったりするようです。
中国では白、黒、赤の順によいとされるらしい。
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こうして、古今東西の兎の寓意を見る限り、
一貫してわかりやすい連想が感じられます。
多産が一方では愛と官能に結びつき、
また生と死と結びつき、
輪廻転生、
いつのまにかたくさん仔が生まれているから、
「欠口から生まれる」「毛をなめれば孕む」「月を見て孕む」といわれ、
陰であり淫であり、
じっとりと水であり、
逃げ足が速いからつかみ所なく狡猾さもあり、
どことなくミステリアスな
女の生理のごときもの、
それが兎なんでしょう。
そういえば、アンディ・ライリーの「自殺うさぎ」の本なんてのもありました。
カワイイのに、むやみに死んじゃうウサギたち。

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ちなみに、漢字の兎は兔とかいてもいいけれど、
「、」をとっちゃだめ、とったら免になってしまう。
この「、」はうさぎのしっぽなんだそうです。
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そういえば、「と(に)かく」を「兎(に)角」と書く理由が気になって、
とりあえず「広辞苑」をやってみたら、
【とにかく】(兎に角と当て字)
とあってがっかりしました。
一説には漱石センセイがよく使用したことで普及した当て字とか。
「兎角に人の世は住みにくい」と。
「兎角亀毛(とかくきもう)」とは兎の角、亀の毛、すなわちありえないものの喩え。
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全然建築の話をしていないけれど、
gが研究している某建築家の兎の装飾に関する小論考では、
「月に兎」「波に兎」「鷲と兎」などと章をわけて考察しています。
読みにくいものですが、「波に兎」の意匠に関して、次のようなことが書いてあります。
「兎の波上を走る図は往々我国の意匠中に之を見るが、これは月が波に映った光景があたかも兎の波上を走るごとき趣のあるより、かかる案を得たものであることは、謡曲の文句などを見ても明である。支那ではこの意匠を見た事がない、多分我が国の創意であるかと思ふ。」
ここに「謡曲の文句などをみても」とあるのは謡曲『竹生島』で、
「月海上に浮かんでは兎も波を奔るか」とあることを指すらしいです。
きっと今日NHK「ダーウィンが来た」で見た、海面を跳ねるエイの大群のようなものを想像したんでしょう。いかにも江戸庶民の図柄という感じがして微笑ましく、光景として想像してみると楽しい。

法隆寺の塔頭にあるという波乗り兎瓦。そんなに古いものではないんでしょうが。
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最後に、兎が薬をつく歌。
李白
「酒を把りて月に問う」
青天有月来幾時 青天月あってよりこのかた幾時ぞ
我今停盃一問之 我今盃を停(とど)めて一たび之に問う
人攀明月不可得 人明月に攀(よ)ずる(手をのばす)も得べからず
月行却興人相随 月行却って人と相随う
皎如飛鏡臨丹闕 皎(こう)として飛鏡の丹闘(御所の門)に臨むが如く
緑煙滅盡清暉發 緑煙滅し尽くして清輝発す
但見宵従海上来 ただ見る宵に海上より来たるを
寧知暁向雲間没 いずくんぞ知らん暁に雲間に向かって没するを
白兎擣薬秋復春 白兎薬を搗く 秋また春
嫦娥孤棲興誰隣 嫦娥(じょうが:神話の女性) 孤棲す 誰と隣せん
今人不見古時月 今の人は見ず 古時の月
今月曾經照古人 今の月かつて古人を照らすを経たり
古人今人若流水 古人今人流水の若く
共看明月皆如此 共に明月を看ること 皆此くの如し
唯願當歌封酒時 唯だ願くは歌に当り酒に対するの時
月光長照金樽裏 月光とこしえに金樽の裏を照らさんことを
青い夜空に月が存在してこのかた幾時が経ったのかと
私は今盃を運ぶ手を止め、ひとたび月に尋ねる
人が明月を手に取ろうとしてもそれを得ることはできないが
月の歩みは人の歩みに付き従ってくる
白く輝き、空飛ぶ鏡が御所の門にさしかかっているかのように
青いもやが消えて清らかな光が辺りを照らす
人はただ月が宵に海上から昇るのを愛するだけで
暁に雲間に沈むのには興味を抱かない
(月に棲む)白兔は仙薬を杵でつき、無限の春と秋を繰り返す
(月に棲む)嫦娥は、たった一人で棲んで、いったい誰と親しくするのだろう
今の世の人は、古い世の月を見たことはないが
今の世の月はかつて古い世の人々を照らしたのだ
古人も今の人も流れる水の如く去っていくが
皆同じ思いで明月を見てきたのだろう
ただ願わくは、歌を歌わんとし酒をのまんとする時に
月光が永遠に金樽の中を照らしてくれることを
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上の詩中にある「皎(こう)」を漢和辞典でひけば「白い。きよい。白く輝くさま。きよらかなさま。」と出てきます。
松岡正剛が952冊目で李白についてこんなことを書いています。
「(李白は)なにしろ人生の半分を漂泊の旅に費やした人である。人品からいえばどうやら屈託のない人好きではあるが、結局は孤絶に徹した。エピキュリズムを謳歌する一方で、たえずルナティシズムに回帰した。だから夜はたいてい月を見た。田園でも山中でも都会でも、李白の感覚に最初に突き刺さってくるのが「皎」なのだ。」
「日本とちがって中国の月はあくまで高い夜空の底に張り付いたニッケルのような煌々たる月であって、カリカリと金属ナイフで剥がしたくとも剥がせない。そこは『枕草子』の朧月とはまったくちがっている。そこで月そのものの変容よりも、月光を詠む。それが「皎」である。」
そして最後はこう結ぶ。
「ルナティック・タオイスト李太白。まさに「古来、相い接ぐもの、眼中に稀なり」だった。」
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夜が長くて暇な日は連想と好奇心がつきないもの。
人生にとって全くどうでもいいことを考え続けられる、というのも
お正月らしい気がします。
見たこともないけれど、「皎」とした中国の月と、
兎が波間に浮かんでは消える、月を映す海を思いながら、
寝ることにしようと思います。

「ハチクロ」にもでてきたムンクの月。
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あ、年賀状は31日夜に出したので、ここにはのせません。
(のせたら、本物よりも先になってしまいそうだから。)
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