2009.10.15

カスパー・フリードリヒ絵本

今年も、キンモクセイの香りと滑稽な銀杏の臭い。

数年ぶりにシジミ蝶を見ました。(この言葉自体、頭によぎったのが数年ぶり。)
秋の風物ではないと思うけれど。

◆◆◆

つい見てしまったNHKスペシャル「マネー資本主義(再放送)」
最近、全然テレビを見ないからか、面白かった。

内容どうこうより、映像に味があるのです。
このオープニング映像とか、メリーポピンズみたいで、かわいらしい。

◆◆◆

ドイツの画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774年 - 1840年)の話を、なぜか今週、それぞれ別のところで3回も見た上、どれにも画像がないという。

絵の解説していて、絵がないのは反則だといつも思います。
(許可が下りにくいとか、そういう事情なのかしらん。)

こういうとき、インターネットがない時代っていらいらしただろうなと思います。

以下、ただのメモ。(単に画像付きで見たかっただけ。特に論旨も結論も無い。)

◆◆◆

今日の帰りの電車で読んだ「樹幹と円柱という永遠のアナロジー」(土居義岳)という小論。

「ユルギス・パルトルシャイティスは『アベラシオン』(1983年)のなかで、ロマン主義におけるゴシック=森のアナロジーについての説を紹介している。…しかしそれよりも『アベラシオン』で論じられていないのは、フリードリヒの絵画と、シンケルの建築である。』

「ガスパール・フリードリヒについては、アイネムが『風景画家フリードリヒ』のなかで詳述している。」

「そもそもロマン主義とは啓蒙主義・近代社会の成立に対抗し、近代によって過去の何かが失われたという心性なのであって、つよい欠落感と超越への強い指向が特徴的であり、その風景画は、人物、風景、樹木、廃墟など具体的なものを描きながら、そのコンポジションにおいてはつねに垂直と水平の強い対比からなるたいへん抽象度の高いものである。」

あまりにさらっと書いてあってこの因果関係について意識をさせないけれど、矢印で書いてみるとちょっと疑問も。

【過去の何かが失われたという意識、欠落感】→【「超越」を強くもとめる】→【画面を支配する強い(抽象的な)構図】

◆◆◆

「そして絵の鑑賞者は、それらの背後に『柱』を見るという欲望にさいなまれる。柱は垂直という概念を示す記号である。たとえば<雪の中の巨人塚[ドルメン]>はそんな解釈を誘う。」

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<雪の中の巨人塚>

柱はイデアなんだ。

◆◆◆

「こうしたランドスケープはきわめて普遍的な性格を帯びる。特定のランドスケープを忠実に再現するものではない。

ゴシック様式の教会堂らしきものの廃墟という同じモチーフが<エルゲナの廃墟>、<雪の中の修道院の墓地>、<樫の森の修道院>において繰り返されている。…ここで風景は、目の前に展開する固有の具体的なものではなく、あらかじめ心のなかに描かれた、超越的、先験的、観念的、一般的なものである。」

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<エルゲナの廃墟>

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<雪の中の修道院の墓地>

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<樫の森の修道院>

「建築言語」とか「デザイン言語」とかいうときの「言語」っていう言い方は、喩えじゃなくてその通りなんだなと。

◆◆◆

この文章も以下のように続きます。

「人物は風景の『点景』ではなく『意味の担い手』である。」

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<月を眺める男女>

「彼が描く人間は…一般に人間的なものの代表であり、さらには被造物一般の代表である。ということは人間はかんぜんに自然の一部であり、…これはまさに『自我の中に世界への鍵を見出すというロマン派一般の謎』(アイネム)なのである。」

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<霧の海を見下ろす旅人>

「さらに人物はつねに後ろ向きで描かれている。この人物は、無限や超越にむかってあこがれながら、しかし自分の肉体という有限性に囚われている。…その超越的ななにかは『光』によって代理されている。光は、無限のかなたの、向かい側からこちらに投げかけられる。…図式的にいえば、古典主義は順光であり、ロマン主義は逆光である。」

◆◆◆

「不気味な建築」(アンソニー・ヴィドラー)

「作家・音楽家として彼(=ホフマン)が最も賞賛した建築家はカール・フリードリヒ・シンケルで、ホフマンは彼に自身のオペラ『ウンディーネ』のためのセットデザインを依頼している。」

「ホフマンの世代のロマン主義者達にとって、建築は本質、つまり社会的・自然的世界としての多様な小宇宙を表現するという課題の中心にあった。」

「ゲーテ以降、ドイツの若者たちにとって、建築はゴシック様式あるいは古典様式という姿をとった、美的完全性の理想像ー規範としての古典主義、国家誕生の証人としてのゴシック様式というように―だったのである。」

「ガスパー・ダヴィット・フリードリッヒは、時間や自然力により破壊されてしまった象徴的完全性の廃墟や遺跡を描いた。ホフマンは、強調されるアイロニーにもかかわらず、音声には得がたい音楽的ハーモニーの実体的現れを建築に見出した。」

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<エルデナ修道院跡>

ロマン主義の求める超越性・普遍性は、建築に一番にみいだされた。

音楽的ハーモニーが音楽よりも建築で見出されるというのは、おもしろい時代感覚です。

2009.09.24

連休ーただの日記ー

27歳の誕生日祝い(といってももう3ヶ月も前だけど)
にルービックキューブをもらいました。
3×3×3

不覚にもちょっと「ウマい」と思ってしまった自分がいます。

◆◆◆

アムステルダムでアンネ・フランクの家を訪問したことを思い出して、
発作的に『アンネの日記』を再読して、あらためてひきこまれました。

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よく知られたようにジャーナリスト志望だったアンネは、
第三者キティーに宛てた手紙形式で日記を書いていて、
日記でありながら、読者を楽しませようとすること、なみなみではありません。

これは、50年前の素晴らしいブログだなと思ったのでした。

◆◆◆

連休だろうが、
普段からなにも拘束するものがないので関係ないのですが、
世間が浮かれていると、やっぱり浮かれたくなるもので…

基本的に遊んでばかりの数日間でした。

浅草をぶらぶらしたり
銀座でしゃぶしゃぶ食ったり、
下田で温泉につかったり、
映画「サマー・ウォーズ」見たり、
あきれるほど飲んだり。

あれ?
気づけばオッサンのようなスケジュール。

◆◆◆

中学からの友人sと下田の温泉にいってきました。

下田→ペリーさん→「開国してくだサ〜イ」(だいぶ昔に流行った動画)
しか連想できない自分。

温泉のお陰でお肌はつるつる、海鮮は美味しい。

女5人、ゆかたで寝転びながら、テレビに口々に突っ込みをいれていると、
一体高校の修学旅行となにが変わったんだろうという感じです。

Photo

宿の主人が変わっていて、いまどきちょんまげで、「日本一のちょんまげ」と称しているのですが、
これはnumber one じゃなくonly oneってことかと。

◆◆◆

季節はずれに、映画『サマー・ウォーズ』を見ました。
『時をかける少女』の細田守監督の作品。

アニメ映画を見たのはたぶん『もののけ姫』以来だと思うんだけれど、見てよかったです。

いやあ、綺麗ですね。
カメラワーク(というのかな)も素晴らしい。

こういうお話はストーリーよりもキャラクターで魅せるもんなんだろうと思うし、
実際、うっとりつかって「かっこええなあ〜」と見るのが楽しい。

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そして、冷静に考えると死ぬほど地味なものを、
いかに派手に[オオゴトに]、かっこよく描けるかというのが
技量なんだろうし、ある種やさしさみたいなものを感じました。

少なくとも、私はいままで格闘ゲームが強い男(「ひと」とルビ)とか、
レポート用紙に何枚も数式書く男を見て、
「すごい」と思いこそすれ、「カッコいい〜!!」と思ったことはないですが、

この映画だったら、思いますから。

2009.09.18

初体験

今朝、かの代々木体育館の中にはじめて入りました。

すごくいい天気で、
屹立する体育館の外観も、
天井のルーバーから差し込む光も、
すべてがパーフェクトでした。

rooms 19 という、ファッションやジュエリーのデザイナーさんたちの展示会で、

研究室の先輩の友人のジュエリーデザイナーさんがブースをだしていて、
先輩がそのブースデザインをしたというので、招待券をいただいて見にいってきました。
(ややこしい)

ブースもジュエリーも迫力があって華奢で綺麗でした。


そして、体育館、やっぱり良いわ〜と。
建築を見て、幸せと思えるって本当に幸せだなあと。(なんか言葉おかしいけど。)
思いました。
マル。

◆◆◆

その方の作っているジュエリーとコンセプトを見ていて、

これくらい、ものをつくる「熱さ」が理解できる範囲で、自分の身の回りが構成されていたらいいな〜と、つとに思いました。

普通の大きなブランドでも、どういう思想でつくっているのか
ちゃんと知っていたらそれはそれで面白いんだろうけれど。

最近買ったELLE の最新号で(建築のページがあって。)
スウェーデンのデザイナー、トート・ボーンチェは
母親から「欲しい物はなんでも自分で作りなさい」と言われて育った
と書いてあり、

そこまでは無理だなと思いつつ、
でも、できる限り欲しいものが自分でつくれたら嬉しいし(ある程度の家具とか家とか位は)
できる限り欲しいものが、知り合いの手によってつくられていたら嬉しいな〜と思いました。

ものをつくるんじゃなくても、「旅行のことだったらあの子に相談しよう」とか「子供を医者にかける時はあの子」とか、友達うちで生活がまわったら面白いなとずっと思っているのですけども。

◆◆◆

上のも漠然とした夢ですが、私の夢は具体的なのに漠然としたのばかりで、そのせいか、

最近、他人と将来の話をしゃべっていて、ピンとくるときと全然こないときの差がはげしくなってしまいました。

特に男の人だと。
私が女だからというのもあるんでしょうが。

ピンとくる人は、ほとんど話さなくたってわかるのですが、

相手が、エラくなりたいということだけ伝わってきて、なにを達成してえらくなりたいのか、なんのためにお金を稼ぎたいのか、全然ピンとこなかったりして。

例えば、これはベタな例だけど(ほんとにただの例だけど)
一等地のデザイナーズマンションに住みたいとか、
年に2回は海外に行きたいとか、
給料は○千万以上欲しいとか、
その種のことは、まあ、いろいろあるのかもしれないけど、
結局どうしたいのかなと。

冗談もあるとは思うし、

自分で抱えているんだろうなとは思うけれど…。

よくありそうな平凡な状況なんだけど、
実際に直面すると、意外にショックなものなんだなと思ったりしました。

◆◆◆

もっぱら、目先の修論の中間発表がこわすぎます。

2009.09.10

さようなら、ロンドン

The whole object of travel is not to set foot on foreign land; it is at last to set foot on one's own country as foreign land. (G. K. Chesterton)

◆◆◆

というわけで、帰ります。帰国は11日朝。

帰ったら、うなぎだ、刺身だ、トンカツだ、焼き肉だ、月島もんじゃだ、ラーメンだ、温泉だ、そして日本酒だー!

と思っているんですが、

それよりも、修論だー!(泣
ということになりそう。

でも、人恋しさにあふれてますので、よろしく。

よく会う友人も、たまに会う友人も、
いますぐ会ってハグでもしたい気分になっています。(←迷惑)

学校では、すでに留学組の帰国ラッシュが終わっているので、
みんなもう自分のことモードに移行してる中、
一人違うテンションで浮くという気がいまからひしひししますが。

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ナショナル・ポートレート・ギャラリーにて。

みんなこっちみてるからコワい(笑

知人が、ここに来て、友人のポートレートを撮りたくなったと言っていましたが、
分かる気がします。

なんとなく、一人ひとりじっくり見たい気になります。(←重ね重ね、迷惑。)

◆◆◆

帰る間際、なにしよっかなーと思っていたのですが、

結局、昨日はガーキンの1Fのパブで飲んで、今日は大英博物館あたりをぶらぶらという。
図らずもフォスターづくし。

ガーキンの1Fのケーキ屋で見たガーキンケーキ。

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◆◆◆

ロンドンで、まちがいなく最も世話になった敬愛すべき友人との最後の飲みで、

ロンドンに来てもっとも酔っぱらいました。

教訓は、よく知らない酒を飲むもんじゃないということです…。

感謝の言葉も、べろんべろんの人間が言っているので、
重みのないこといちじるしい。

なんとも私らしい幕引きという感じがしましたが、
いやはや。

◆◆◆

でも、最後の方は、いつ会社をやめたくなってFOAにapplyするかということばっかしゃべっていた気がしますが(笑

もし就職が決まっていなかったら、間違いなく
卒業と同時にロンドンにCVを持ってやってきたと思います。

建築っていいなと、もういちど私に思わせてくれたことに感謝してもしたりない。
素晴らしい事務所だと、私は思っています。

◆◆◆

どちらにしろ、ロンドンという街はもう一度来ようと思います。
こんどはもうちょっと長いスパンで。

私は、この街の、人間くさい感じ、

びっくりするぐらいいろんな人間がいて、それぞれが全く街にあわせることなく勝手に生きている感じ、

集団に埋もれる小市民的な感覚を常に持たせてくれる感じ、

みながロンドンに文句をいいつつ、結局、いちばん落ち着くと感じている感じ、

が好きだなあと、思います。

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(空港で見て、ちょっと笑った広告。HOME、ひどいな。)

まあ、いつ来るか、どうやって来るかはもちろんノープランですが(笑

それくらいの方が、実現しそうな気がするし。Photo_4

2009.09.07

本初子午線上のアリア

帰る間際に、わりと会いたい人に会えているのが嬉しい今日この頃。

建築を見る以外でも、はじめて行ったところもいくつか。

1. 中華街。K先輩らと。飲茶が本当に安くて美味しい。

2. カラオケ(in ロンドン)。オリバー、ナイジェル、ゆきさんらと。レストランとカラオケボックスのあいのこのようで面白かったです。バブル期の日本のカラオケみたいでした。(値段もそれなりに…)

◆◆◆

かってに思い込んで熱くなるで、あとで勘違いが発覚して恥じ入ったり驚いたりは日常茶飯事です。

例をあげれば本当にきりがないけど、たとえばカンガルーと鳥がむかいあってるオーストラリア観光の広告をみて、イギリスの紋章のもじりかな、なんて思っていたら
オーストラリアの地域章があることを知ったり。(植民地時代にできたやつ。)

Australian_coat_of_arms

◆◆◆

でも、最大の勘違いは、なんといっても、グリニッジの本初子午線上にクイーンズハウスがあると思っていたことです。

日曜、グリニッジ・マーケットに、事務所の所員さんの奥さんが陶器のお店を出しているのでいってきました。(すごく可愛らしいお店でした。ついでに、マーケットは食べ物が安くて美味しくてたのしかった。)

グリニッジは、立地としてはロンドンの東、テムズ川沿いの、
東京でいえばお台場のような距離感のところです。
(お台場のゆりかもめのように、DLRというモノレールが走っています。)

かの有名なグリニッジの展望台は高台にあり、素敵な眺望が得られます。

Photo_3

グリニッジ・パークという王立公園ですが、むこうに見えている建物を拡大すると。

Photo_4

手前に見えている左右対称の建物が、イニゴ・ジョーンズ設計のクイーンズ・ハウス(1616-35)で、

上下2層、比例で整えられたファサードなど、イギリスのパラーディアニズムの先鞭をつけたといわれる建物です。

Photo_5

これは5月にふもとの川側から撮った写真です。

きっちり左右対称な建物に、さらに左右に同じ柱廊がついています。

中身は左右対称ではないですが。

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(クイーンズハウスの階段。写真は撮れないので、絵はがき。)

クイーンズハウスよりさらに川側にあるのが、イニゴ・ジョーンズより後の建築家で、セント・ポール大聖堂をつくった、クリストファー・レンの建築(1694)です。

旧海軍大学らしいです。ミニ・セントポールみたいないでたちですが、セント・ポールよりあとの作品。

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これも5月の写真。当時はなにか工事してたみたいです。

ローマのポポロ広場の双頭教会みたいな、双子の建築。

上の俯瞰写真を見ればわかるように、この双子の対称軸は、クイーンズ・ハウスの対称軸の延長にあります。

レンが、すでにあったクイーンズ・ハウスに敬意を表してこの形を決めたのだと思いますが、

川と、レンの建築、ジョーンズの建築、公園、が一体となって素晴らしく劇的な効果をあげています。

それらすべてが、丘の上のグリニッジ展望台から非常によく見えるので、

私はてっきり「本初子午線って、この軸線にそって決まってるんじゃ?!」と思ったのですが、

…見てみたら、全然違った。

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航空写真。赤いのが本初子午線、黄色いのがクイーンズ・ハウスの対称軸。

東経と西経で対称な建物だったら、なんてクールなんだー!!と思ったのですが、残念…。

でも、なんにせよ、世代を超えて軸が共有されているこの光景は圧巻です。

◆◆◆

ちなみに、このクイーンズ・ハウスというのは面白い建物で、
ただの住宅ではなく、広大な緑地(王室領庭園)の境界を形成する、塀のような役割をもつ建物だったようです。

建物の1階を柱廊(通路)が貫通していて、2階は部屋になっているという、なんとも都市的なプランをもっています。

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◆◆◆

グリニッジといえばのラバンのダンスセンター。

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その近くの廃墟。
「これもいい劇場になりそうだね」とは知り合い談。

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2009.09.05

S氏、かっこいいぜ

オランダは、いってよかったと思いました。
ちょうどAA先輩のお別れパーティーで、愛されている先輩の姿も見ることができました。

◆◆◆

"the Devil wears PRADA" が好きならこれも好きだと思うよ、と友達が貸してくれたDVD 、 "Love Actually"。

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…好きでした。(簡単に好みが読めるのね。)何回もみてしまいました。

クリスマスを巡る数組の男女のラブストーリーです。
いわゆるラブコメで、深遠さは全くないけど、楽しくて酔えるからいいのです。

首相役のヒュー・グラントがあまりにかっこよく、やられました。

ダウニング街10番地(首相官邸)の中で、ラジオの音楽につられて踊るシーンなんて、もう何回再生したことか。

You Tube にもありました→「踊るヒュー・グラント」

「もうカッコいいんだから良いじゃん」と批判脳がポジティブに麻痺する感じ。

価値判断の外に行ってしまう、映画の魔力。

◆◆◆

2日、UCLで、友人S君の都市デザイン学科(修士)における最終課題の講評会があったので、聞いてきました。若干、嫌がられそうだけど、写真など。

準備するS氏。

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発表するS氏。右に立っているのは先生。
1人15分の発表時間の長さにはびっくりしました。

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間違ったことを書きそうだから、内容を説明するのはやめておきますが、49個(白紙いれて50個)の都市の要素のタイポロジーとそれに付随する物語(きわめて個人的な詩とも読めるけれど、反面、どこか懐かしいような話=集団的な記憶を思わせる話)を並べています。

ちなみに、S氏は非常に心得た人なので、「並べる」ということのエンターテイメント性をわかっている。

同じフォーマットのものをいっぱい並べてみせられると心が浮き立つのはなんでなんでしょうね。コレクター魂なのかしらん。

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並べたことにより、階層とか段階とか始点・終点とかいったものを消し去って、それによって「プロセスはどうなってるのか」とか「この先はどうなるのか」とかの、ありうべき質問をスルーし、傘連判の百姓一揆チームのような不敵さ(?)ととらえどころのなさを垣間みせつつ、

結局、ヒュー・グラントじゃないけれど、教師陣の間には「かっこいいよね」という至極なごやかなムードがながれて終わりました。

(以上、半分冗談です。しかも、私の独断と偏見です。)

なにはともあれ、かっこよかったです。

◆◆◆

残念ながら、その日の(人数が多いので数日にわけてやるらしい)他の人のにはあまり興味をひかれなかったので、数人見ただけで、フィンチリー・ロード駅そばのフロイト邸へ。(フロイト=Freud)

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勝手な連想で悪いけれど、S氏が個人的な記憶と集団の記憶を並べてみせるやり方で、フロイト邸を思い出したのでした。(数日前の日記で、ソフィー・カレが自分の思い出とフロイト邸の家財をオーバーラップさせて展示したと書いた、その場所)

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椅子がいい。

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フロイト先生に関しては、別に好きなわけでもなく、
高校の「倫理」で習った以上の知識はほとんど持ち合わせてないのですが、

「フロイト著作集3 文化芸術論」(人文書院)
という本だけ持っています。

フロイト先生の芸術論は面白くて、例えば、美術の専門家ではないと断りながら、ミケランジェロのモーゼ像の精神状態まで観察しているのです。

それくらいだから、家には絵や彫刻が溢れています。
それぞれがモーゼ像と同じ視線を注がれていたんだろうなと思うと楽しい。

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ソフィー・カレの展示はもうしていませんが、
もともと、この家にはフロイトの美術品や家具に、それぞれ関連したフロイトの記述が付されています。

例えば、川の絵のそばには、

「女性がしばしば見る川に入るという夢は出産を暗示する。出産、すなわち羊水から出るという状況は、興味深いことにその逆ーすなわち水に入るという描写におきかえられ、例えば神話の××、××、××、の誕生で私たちの知るところである。」(覚え書き、というよりうろ覚え書き)

というような記述がついているのです。

実際は、川の絵とそのフロイトの記述は直接には関係ないのだけど、

ソフィー・カレもしたように、

並べるとは、見る側の頭に仕事させること。

見る方が勝手に関連づけて見る。
しかも、たいていの人が同じように関連づける。

そう考えると、なんとなく不思議なシナプス発生装置(あくまでイメージだけど)。

◆◆◆

ついでに、フロイト邸の近くのカムデン・アーツ・センターに。(2回目)

このギャラリーは、ここに置いたら消しゴムだってかっこよく見えるだろうと思うくらい、いい展示空間を持っています。

コンバージョンなので、誰か一人の建築家のおかげというより、いろいろな状況が組合わさった幸せな結果の一例。

展示空間だけなら、ロンドンで一番好きな小さなギャラリーです。

2009.08.28

カナレット

The use of travelling is to regulate imagination by reality, and instead of thinking how things may be, to see them as they are.―― Samuel Johnson

(旅行の利点は、想像の幅を現実によって規定すること、ものがどのようになっているか想像するかわりにありのままを見ること。―サミュエル・ジョンソン(文学者))

週末はAA先輩を訪ねてロッテルダム。出不精なので、かなりめずらしい遠出です。

◆◆◆

ひきこもり生活のうちわけは以下のようになりました。

―ほとんど誰とも接触してないのに、風邪をひいた。(たぶん気のゆるみによる)
―よって、すごい寝た。(たぶん1日15時間くらい。でも寝たおかげでなおった。)
―オリバー、ナイジェル、ゆきさんとカレー飲み会。
―論文と関係ない本で時間をつぶす。

これらのことを差し引いた時間が論文。って、いったい何時間あったんだろ…。

また、バッドでナイスなタイミングで、友人から恋愛小説がとどいたりとか。(でも面白かったです。『植物図鑑』(有川浩)。女子の憧れを凝縮したようなお話。全国の男子が読めば、幸せな女子がふえるかもしれません。)

正直、ロンドンにきてから、かつてないくらいのぐだぐだっぷりでした。

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(風邪、すぐなおってよかった。ホルボーンでみつけたs'wine bar。swineとwineをかけていてちょっと面白いけど、いまとなっては…。)

◆◆◆

「論文と関係ない本」の中で、日本から持ってきた『江戸とロンドン』(山川出版)という論文集があるのですが、それを読んでいて、カナレットにあたりました。

カナレットの名は、S君が本屋で口にしたときからすごくひっかかっていて、ナショナル・ギャラリーにもジョン・ソーン美術館にもウィンザー城にもカナレットの絵があったので、いちいち気にしていたのですが、「あ、そうか、ここで読んだんだ」と納得。溜飲がおりた。

編者の一人、近藤和彦氏の『カナレットの描いた二つの橋』という小論考でした。

「カナレットはヴェネチアの運河、その水面およびそこに催される祝祭を描かせると並びない、十八世紀半ばのイギリス人に一番人気のあった画家の一人であり、ヴェネチア領事ジョーゼフ・スミスの慫慂により、ロンドンに滞在していた(1746-55)。カナレットとは運河にちなむ渾名である。」

この短い文章に、2つも知らない言葉があった私…。

慫慂[しょうよう]…傍らから誘いすすめること
渾名[こんめい]…あだな

そして、なるほど、canal→カナレットね、と今さら気づきました。

◆◆◆

でも、確かにカナレットの確かな筆致は、歴史資料になるよなあという気がします。(意図的にフィクションを使っている時は別として。)
「東京今昔」という本があった気がするけど、カナレットの絵で「ロンドン今昔」を見ることができる。

くだんのロンドン橋の絵。昔のロンドン橋は橋の上に建物が建っていて、ポンテベッキオみたいなかんじだったらしい。

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シティ側を拡大すると、分かる建物もわからない建物もあるけれど、

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四角錐のは水道塔だそう。クラシックな建物は漁業組合(フィッシュマンズ・ギルド)、大火記念塔なんかは(川からはもう見えないけれど)いまもあるのでわかります。

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今のロンドン橋(1972年完成)

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1666年大火記念塔(the Monument、クリストファー・レン設計)

「この路線は、テムズ河を恒久的な橋<ロンドン橋>によって渡されていて、それは1729年までずっと唯一の横断施設であった。」(『ロンドン物語』、S・E・ラスムッセン)

そして♪ロンドン橋おちた♪というように、何回も何回も壊れたらしい。

1729年にはパトニーフラム間に木橋がかかったけれど、「ちゃんとした」第二の橋は、1750年に完成したウェストミンスター橋。設計は、コレン・キャンベル、施工はスイス人技術者ラブリ。

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いまのウェストミンスター橋。

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ウェストミンスター橋が美しかったので、
「かくして、既存のロンドン橋についても批判が続き」1756〜1762年には「十三世紀以来の上屋を撤去」することになったそうです。

「それにしても、ロンドン橋の上屋を撤去して人車の混雑を緩和し、橋脚を一つ撤去して水流を改善した1760年前後は、ちょうどシティの市門のうち、オールダスゲイト、オールドゲイト、ビショップスゲイト、クリップルゲイト、ラドゲイト、ムアゲイトを1760〜62年に撤去し、市に出入りする交通の障害を取り除いたのと同時期にあたる。」

ビッショップスゲイトだの、ムアゲイトだの、いまも普通に地名として残っているので、この話は感慨深いです。そうか1760年までは本当に「ゲイト」だったのだね…、と。
いまは、ゲイトの面影は全然ありません。

2009.08.25

そしてひきこもり。

27日になにかはださなければならないことがわかったので、それまではひきこもることに決めました。苦渋の決断。

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(部屋の窓から外を見る。ルームメートのシーツ。)

数日前に「自由だー」とか言ってたのに、結局、仕事が他のことになっただけのような。
(なまけものなのに小心だからこういうことになる。)

◆◆◆

でも、今日は、なまけものの常で、いきなり論文モードにはなれなくて、

部屋の掃除をして(お約束)、

洗濯して、

本屋に行って、

論文に関係ない本を何冊か買って(だめだめ)

1時間だけナショナル・ギャラリーにいって(最近のストレス解消法)、

元気をだして、

で、喫茶店で、ゾフィー・カレの本を見るという。。。
(読むっていうか、見る)

結局、見事になにもしてない。

「女子」(かっこつき)な気分だけ味わえました。

Photo

(スピタル・フィールズ・マーケット近くにある、女友達ときたい感じの喫茶店)

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Appointment with Sigmund Freud

カレがロンドンのフロイト・ミュージアム(フロイトの晩年の家)でやった展覧会の記録で、
フロイトの家にあるものに、自分の個人的な記憶をオーバーラップさせて展示したようなもの。

本は写真とちいさな文章の集合によって構成されてますが、文章の方はたとえば、こんな感じ。(拙訳)

「1989年の12月、私は彼に会った。私はニューヨークに数日間滞在していて、彼は私に自分のアパートに泊まるようにすすめ、私はその通りにした。彼は私に住所を教えて、鍵を手渡し、そして、いなくなった。その日、私は彼のベッドで一人で夜を過ごした。彼について分かったことは、シガレット・ボックスの下から見つけた紙片だけだった。『新年の決心ー嘘をつかない。かみつかない。』後日、私はパリから彼にお礼の電話をした。私たちは会う約束をし、1990年の1月20日を選んだ。朝9時、オルリー空港。彼はついにあらわれず、電話もかけてこず、こちらの電話にもでなかった。1991年1月10日、彼は電話してきてこういった。『グレッグ・シェファードです。1年遅れたけれど、オルリー空港にいます。お会いできますか?』このひとは、私への話し方を心得ていた。」

…なんか、ジョン&ヨーコの話でも読んでるみたいな…。

見事なまでに、この状況にふさわしくないものを読んでいるという気がしました。(それを人は逃避という。)

でも、フロイト邸にはちょっといってみたくなりました。

2009.08.24

シェイクスピア・ビジネス

9月10日に帰ってから修論考えればなんとかなるかと思っていたけど、副査とかきめねばならんのでした。
3日後、概要締め切り。

もう、締め切りはいいってば…。
いやはや、冷や汗。

◆◆◆

K先輩らとシェイクスピアのグローブ座で劇を見ました。
(たぶんイギリスっぽいことということで企画してくれたのだと思います。)

トロイア戦争の終わりを扱った『ヘレナ』という劇で、オリジナルのシェイクスピア作品ではないですが、
舞台装置とか、役者の配置などでシェイクスピア劇の雰囲気がわかっておもしろかったです。

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歌舞伎みたいに、役者が観客の間をつっきって手前から出てくるとか(しかも歌舞伎のような花道はない。)
楽曲師や歌手が普通に舞台に出てくるとか(「役者としては見ないようにする」という暗黙の了解で。)
劇のはじまる前に、前座にオッサン2人が出てきて世間話してる感じとか。(しかも後で「役者」になってでてきて、観客は大喜び)

◆◆◆

シェイクスピアの名のつくパブはごろごろありますが、
一番目立つのはおそらくSOHOにある"Shakespeare's Head"です。

(ちなみに、どうしてかわからないけど、○○'s Headはパブの名前ですんごく、よくあり、たぶんラーメン屋の来来軒みたいな感じなんだろうな〜と思います。ex. King's Head, Queen's Head)

S_head

Head2

病気のような顔のシェイクスピアが覗いています。life size bustって書いてあったけど…。

Shakespeare's Head そこにあった解説書より

This Shakespeare's Head which was built in 1735, was originally owned by Thomas & John Shakespeare, who were distant relatives of the poet.
In its early days, the tavern stood on the boundary line that divided the lands of the Mercers Company from those of the Aboot of Abingdon, and nearby was a small estate known as six acre fields. During the victorian period, the field was a site of the riding school, belonging to Major Henry Foubert, whose name is commemorated by neighboring Fourbert Place.
The present day Shakespeare's Head overlook Carnaby Street which was once the site of an 18th century street market & is now one of the worlds most famous shopping precincts.

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シェイクスピアは「人殺しいろいろ」(1564-1616)に生きた人ですが(このごろあわせは阿刀田高の本に書いてあった。)

シェイクスピアが今のような国を代表する劇作家になったのは18世紀、ナショナリズムと出版業の隆盛にのった形だそうです。

1769年のシェイクスピア・ジュビリー(生誕200年?ちょっとずれてる理由はよくわからないけど)のころには、シェイクスピアビジネスが大当たり、シェイクスピア・ブームのような感じだったらしいです。

出版関係では、一方では、シェイクスピア劇がやさしく翻訳(?)されて、ブルジョワ層やミドル層に流行し、一方ではいわゆるシェイクスピア研究が進んで学者による注釈本が何種類もでたという。

18世紀の終わりには上映される劇の6つに1つはシェイクスピア作品だったそうな。

上のパブは1735年にできたとあるから、さぞかしシェイクスピア・ビジネス全盛時代を謳歌したんだろうな〜と推測されます。

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V&A美術館で、シェイクスピア劇「十二夜」が主題の18世紀絵画に「これはパル・マルにあったボイデル・シェークスピア・ギャラリー(Boydell Shakespeare Gallery)のために制作されたものである。」と書かれているのを見つけました。

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これがそれ。建築家はジョージ・ダンス。

The architect Sir John Soane criticised Dance's combination of slender pilasters and a heavy entablature as a "strange and extravagant absurdity".

Pall Mall というのは、今はほとんど紳士クラブしかないような高級な通り(トラファルガースクエアあたりから西にのびている)ですが、そのころは娼婦街も近くもう少し玉石混ざったところだったようです。

このボイデルさんという人は、版画家でもある出版業者なのですが、シェイクスピア・ビジネスにのってやろうぜという気分もあって、

当時の流行画家をあつめて、シェイクスピアの絵入り完全本を出そう、というプロジェクトを企てます。(1786年)

(ちなみに、大義として掲げられたのは、イギリス絵画が弱いとされていた歴史画の分野をもり立てようということ。)

プロジェクトとしては、

1. 挿絵(絵画作品をもとにした版画)入りのシェイクスピア戯曲完全本を出版(文の方はシェイクスピア学者のジョージ・スティーブンスがうけもった、本格派)

2. 文なし、シェイクスピアの戯曲を題材にした画集を出版

3. もととなった絵画を一カ所にあつめて美術館をひらく

この3つのプロジェクトの中で、一番成功したのは3番、くだんのパル・マルの美術館だそうです。

本の方は、あまり版画の質がよくなかったとか、いろいろ原因はあったようだけれど、評判はかんばしくなく、最後はこのプロジェクトは財政破綻してしまいます。

この、ボイデル本のシェイクスピア版画はこのサイトで一部見られます。

その後、絵の方は、散逸してしまったのでしょう(V&Aにあったのも一枚だけだったし)。ちょっと残念。
これもそんな一枚。(プライベート・コレクション)

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ジョシュア・レイノルズ画、「パック(真夏の夜の夢)」

かわいい。。。

ジョシュア・レイノルズはこっちに来てから名前を知ったイギリスの画家ですが、当時すでに大人気画家だったらしく、ボイデルはレイノルズに破格のギャラを払っています。

今でも、たぶんすごくイギリス人には愛されている画家なんだと思います。

レスター・スクエアというSOHOの正方形広場には、
中心にシェイクスピアがいますが、
それをとりかこむ4つのゲートのひとつは、レイノルズのゲートです。(そしてウィリアム・ホガースという画家もゲートのひとつをもっています。)

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日本でナショナリズムと関係した作家といえば夏目漱石くらいしか思いつかないけど、
そんなに漱石ビジネスが流行ったというのは知らないから(そんな時期、あったのでしょうか?)、考えるてみる。

漱石・パブとか、漱石・美術館とか。

でも、そんなに流行らなそうなのは、もとがエンターテイナーかどうかの違いかな。

2009.08.23

装飾の文法(追記)

『装飾の文法( 'The Grammar of Ornament')』ってこんなにすごい本だったのか!といまさら感動@ヴィクトリア&アルバート美術館

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A Higher Ambition: Owen Jones (1809–74)

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作者、この人。オーウェン・ジョーンズ(1809-74)

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Owen Jones was a versatile architect and designer, and one of the most influential design theorists of the 19th century.

そう、この人は建築家です。建築図面やパースも展示されていました。

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ジョーンズの言葉。

'Form without colour is like a body without a soul'

かっこいい。やることやってから言う人の言葉という感じがします。

興白いと思ったのは、次の解説。

Jones passionately believed that direct representations of natural objects should be avoided at all costs. He felt, for example, that realistic depictions of flowers would disturb the 'flatness' of a wall if used in a wallpaper design.

at all costs(どんな犠牲をはらっても、なんとしても)というほどに、大事だった「フラットネス」。

この装飾の「フラットネス」化について、自分は知るところが少ないな、と感じます。

アールヌーボー建築を見ていても思ったけれど、厚みがある「装飾」と厚みがない「装飾」を同じ「装飾」という言葉で表していることはすごく話をわかりにくくするのではないかと。

19世紀この時代、イギリスが先鞭をつけたのかはわからないけれど、アールヌーボーにつながっていく厚みのない装飾の美学が蔓延したことが、その後、近代建築への布石になっている、というだいたいの理解があるけれど、(たぶん通説なんだろう)

それにしても扱われ方が小さいんじゃない、と思ったりします。

ゴシックの教会でつんつん突き出たショートケーキのクリームのような「装飾」と、この『装飾の文法』の「装飾」との間には海より深い溝があるはずで。

もともと厚みのある装飾がない、日本のペラペラの板文化に慣れていて実感しにくいけれど、この「装飾」の移行は予想以上にトンでいるんじゃないかと思います。

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例えば、ゴシックの教会から「装飾」を取り除いたところを想像しなさい、というのは、ゴシック建築と同時代の人には難しいことではないかと思うのです。そもそも、それを分離して考える発想があったかどうか。同じ素材でできている以上、装飾とそうでない部分なんて線は実際のところはないのですから。

それに比して、平面的な装飾から、装飾をひくことはたやすい。ジョーンズ自身ornamentを追究しながら対極としての'Form without colour'(色のない形だけの存在)を想定しているのです。

オーウェン・ジョーンズら同時代人は東の平面の装飾文化を知ることができたのはたしかだけれど、19世紀ゴシックリバイバルとかの嵐の裏で、どうしてこのコペルニクス的「フラットネス」が要請されたのか、そこのところはすごく不思議な気がします。

19th-century Britain was dominated by historical revivals such as Neo-classicism and the Gothic Revival. These design movements were riddled with religious and social connotations. Instead, Owen Jones sought a modern style with none of this cultural baggage. Setting out to identify the common principles behind the best examples of historical ornament, he formulated a design language that was suitable for the modern world. He applied this equally to wallpapers, textiles, furniture, metalwork and interiors.

cultural baggage(文化的背景)のない装飾の追求。世界観のない装飾…なんていってるとどんどんヒロユキ先生の世界に…。意識的にそういうものを探したというのが、すごいと思います。東洋の模様なんて、たしかに西洋人には無意味な模様ですからね。

しかし、モダン化というならば、これほどあてはまる状況も少ないのではないかと。すでに平面になってしまえば、その平面の「装飾」を「否定」することは、必然とまではいかずともあまりねじ曲がった流れには感じられなく思います。

[追記]
色のない形に関して。
読み返すと、ここの部分は実に面白いんじゃないか。

Owen Jones grew up in a world dominated by the austere 'whiteness' of Neo-classical architecture. However, recent discoveries had suggested that ancient Greek buildings were originally coloured. The prospect of studying these examples of architectural 'polychromy' would have been irresistible to a young, ambitious architect such as Jones.

真っ白なギリシャ建築はできた当初は色がついていた、という学説が、ジョーンズを装飾探求にかりたてたという話。

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FOAのラバンズホンに建設中の大学。

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